カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2006年 11月 11日
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
読むだけ時間の無駄だ!新聞から「新しい」ものなど「聞いた」こともない。ことに日本の新聞では!けど、新聞が活字であれば「新聞」といのは間違えだろう。活字をいくら見たところで「聞く」ことなどできやしない。そうすると、「新聞」と呼ばれるものが日本で生まれたときから、怪しい、少なくとも、「見る」を「聞く」なんていってるようでは、どう考えても異常なことだ! この異常さを利用している「制度」がある。「議会制」民主主義といわれる「制度」である。この「制度」は個々人による投票によってその「制度」性を正当なものとしている。しかし、ここにはぬぐいがたい乖離がある。「選ぶ側」と「選ばれる側」のあいだの乖離が、それである。この乖離をないものにしてしまう、それを糊塗してしまう仕掛けがある。その仕掛けが『「新聞」と呼ばれるものが日本で生まれたときから、怪しい、少なくとも、「見る」を「聞く」なんていってる』これが、その仕掛けである。つまり、「見る」行為はモノを見るのに対し、「聞く」行為は声を聞く。モノを見るには目とモノのあいだに「あいだ」が必要だ。「見る」行為は、その「あいだ」がなければ不可能だ。その「あいだ」を奪ってしまえばどうか。自分の眼で自分の眼を直接確認できる者はいない。ここに限界が生まれる。その限界が行為の変換を促す。 一方、聞くはどうか。自分の声を自分の耳で聞くことが出来てしまう。少なくともそう錯覚することはできる。すると、モノを見るのに必要だった、目とモノのあいだの「あいだ」が、聞く行為にはなくなってしまっている。「選ぶ側」と「選ばれる側」のあいだの乖離をないものにしてしまう仕掛けとはそのことである。見る行為を、聞く行為に変換してしまえば、見る行為にある「あいだ」「乖離」を隠蔽できる。「選ぶ側」と「選ばれる側」のあいだの乖離をないものにしてしまうことができる。投票を英語で「voice」、声という。声を聞く!これで、見る行為にあった「あいだ」「乖離」はそうと知らぬ間にないものにされる。「選ぶ側」と「選ばれる側」のあいだの乖離は、「voice」、声によってないものとなっていき、両者は一体のもの、全体主義(ファシズム)がここに誕生していく。政治における親密さとはそのことであろう。その親密さを共有するものが、常に論争をしている。親密さを共有しないものとに「あいだ」には「あいだ」があるのであれば論争は起きようがない。だから、対立とは親密さのことである。一見、もっとも激しく対立しているものが、もっとも親密なのである。だから対立を煽るもの、その煽情こそ注意しなければならない。それもまた仕掛けがある。それは次回にする。 \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
by toroom
| 2006-11-11 13:37
| 政治
|
ファン申請 |
||