カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2006年 12月 29日
(2006年12月27日)(日刊リベタ)
中国の不安をかき立てる米国通貨の脆弱さ 中米戦略対話の核心は米ドルの下落阻止 初の中米戦略経済対話が閉幕して1週間が経過した。日本の大手メディアの報道では、今回の対話の焦点に限らず、“為替操作国”中国が為替管理を緩和することだけに世界の関心があるかのように、米国メディアの視点を通して報じられてきた。しかし、人民元改革に進展がないと報じられた一方で、ドルの下落に対して中米両国が共同で対抗措置を講ずるなど、貿易構造自体が不可欠の相互依存関係にある両国の共同歩調が特徴であるとユンゲヴェルト紙は指摘している。さらにドルの下落が為替相場を通して市場に波及することで、米国通貨の脆弱さを露呈することが、東アジアの米国信奉者の重大関心事になっているという。(ユンゲヴェルト特約) (12月28日)(日刊ゲンダイ) 景気は悪くなると見る専門筋のこれだけの理由 経済成長による税収の自然増と歳出削減で増税なき財政再建を目指すという「上げ潮路線」を掲げる安倍政権。空前の税収増の波に乗って企業減税を行えば、企業は儲かり、その利益が社員に配分され、個人消費に回る.などと幻想をふりまいているが、だまされたらダメだ。そんなことは経済オンチ首相が、愛人スキャンダルで辞めた本間元税調会長あたりの三流学者に吹き込まれた実現不可能な経済政策にすぎない。企業はいくら儲かろうが、社員に配分などしないし、やがて押し寄せる大増税で、景気はさらに悪くなり、国民生活は今年よりもっと苦しくなる。 ここでいわれているのは、所得再分配によって景気を浮上させ、消費を喚起させた上で、歳入を確保しつつ、省庁等の改善をはかるというものだろう。簡単にいえば、『社民主義』あるいは『福祉国家』ということだ。勿論、ここには「自由」はない以上、とりたてて期待できるものはない(1)。それでも、法人「増税なし」「財政再建」を、金融政策だけで行うという「夢」に付き合わされた末、「悪夢」にされされることは、もっと苦痛ということだろう。 (2006年12月28日)(日刊リベタ) ベルリンの日本大使館前で抗議行動 日本の野宿者に連帯するドイツ人グループが新しい協働を提案 /////////////////////////////////////////////////////////////////////////// (1)ここでいう「自由」とは、例えば「言論の自由」といったとき、一般にいわれているような、なんでも好きなようにいえる「自由」ではなく、自白を強要されることを拒絶する、いわないことの「自由」である。つまり、権力とは強制することであり、その強制を拒絶する余地を残すことを「自由」という。M・フーコーは『同性愛と生存の美学』でこういっている。 私が思うに、ここで重要な問題は、禁止なしの文化は可能なのかとか、あるいは望ましくあるのかということよりも、ある社会がその内部で機能している当のシステムが、個人にそのシステムを変える自由を残しているのかどうかだ、という気がします。 「基本的に、これは自由主義である。すなわち、それは権力の廃絶よりも権力の制限を重視することでる」と『フーコーと日本』で柄谷行人はいっている。また、M・フーコーは日本での講演で「牧人型権力」について次のように語っている。 それではまず、西洋世界の人間にとって、[牧人型権力]の存在する社会に生きるとは何を意味するのか。[牧人=司祭]がいるということは、すべての個人にとって、自らを救う義務があるということを意味する。そこでは[救い]は確かに個人の問題だが、しかし、選択できる(してもしなくてもよい)問題ではないのです。キリスト教社会においては、自分は救われたい、自分は救われたくない、という選択の自由は存在しないので、個人はことごとく救いを求めることが、不可欠の条件となっている。 つまり、[牧人]の権力は、すべて個人に、彼が救われるために全力を尽くすことを強制する権威を備えているのです。救いは義務づけられている。ここでM・フーコーが言っているのは民主主義と自由主義につながっている。民主主義も全体主義も、成員の同質性を前提とし異質なものを排除する。全体主義は民主主義と対立しない。アテネの「民主主義」を保障したのは匿名による投票であり、それによって、僭主の出現を制限した。しかるに、「民主主義」政治は [牧人型権力]に由来する。それに対し、自由主義は、自白しない自由、救済を拒む自由にかかわる。それはキリスト教からは来ない。 たとえば、ハイエクは『自由の条件』で言っている。「自由であるということは、ある場合には、飢える自由、高価な過ちを犯す自由、または命がけの冒険を犯す自由を確かに意味するかもしれない」。だが、ハイエクがいう市場の自由競争による均衡は実際には夢である。にもかかわらず、警戒すべきは、われわれ個々人をめざす救済する権力、または、それを求める「奴隷」の思想であろう。 社会福祉や国内産業保護の要求は、必然的に外国人の排斥と犠牲をはらむ。共産主義体制の崩壊は自由主義の勝利などではなく、各地に保護主義的なナショナリズムを強化する動きに帰結している。EUによるトルコ締め出しなどはそれであろう。
by toroom
| 2006-12-29 01:40
| 政治
|
ファン申請 |
||