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2007年 01月 05日
今朝、仕事から帰宅して、うちの者がつけていたテレビを観ていると夕張市が映っていた。テレビはいつも音を消しているのでそこで語られていることは分からない。にもかかわらず、最近はご丁寧にやたらと文字が躍っているのでそれと分かる。本来なら、その絵を撮影しなければいけないのだろうが編集でいくらでもなんとかなる。テレビでは文字情報の撮影など、お構いなしでいられる。テレビ画面はズボラだ。それにも関わらず、そこに映っている人々の様子は生き生きしているように感じた。
依然、坂口安吾の『堕落論』だったか、それを読んでいたときの感じを思い出していた。空襲で焼け野原になった東京にあって安吾は生き生きとしている。システムがしっかりスクラムを組んでいるときには安吾のようなものは息絶え絶えだ。この手のものは、それらのシステムが崩壊すると生き返る。 夕張の人々にもそういうものがいるのだろう。水を得た魚たちがいっせいに泳ぎ始める。そこにはルールはない。自分たちがそのルールだ。「欧米人に日本人を教わらなくたって俺たちがその日本人だ」とブルーノ・タウトにむかってhowlする安吾族が夕張にもいるのではないか。 自分は今年36歳になる。10年前に10年後の今をどう考えていたか、思い出さない。恐らくなにも考えていなかったのだろう。だから思い出しようがない。ならば、10年後の今をどう考えるか。殆ど、なにも考えない。それは今考えているという条件を超えられないからだろう。その条件を超えられると人に思わせる装置が「宗教」だと思う。宗教というかたちをとっていなくても、今という条件を超越してしまう、それを「宗教」と呼ぶ。「計画」がそれだ。「計画経済」をうたった共産主義は崩壊した。共産主義は「計画」をそのまま未来に投影する。その投影した計画をルールや法といって、それで人を拘束し、それ以外のものを排除する。ここからは臨機応変の機敏さは衰退し、やる気も奪われる。ここに荒廃が蔓延する。その首謀者は行政だ。夕張ではその行政は崩壊した。夕張市民は自分たちを縛る「計画」から解放され、今、生き返る。夕張には映画祭がある。毎日がお祭りとなる。喜ばしきことなり。 政治は政(まつりごと)! (因みに、夕張映画祭は財政難を理由に潰されかけたが、存続が決まったようです。夕張映画祭から、ひょっとしたら面白いことが起きるかも!)
by toroom
| 2007-01-05 10:50
| 政治
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