カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2006年 11月 11日
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
ヒトラーは『わが闘争』の中で次のように述べていた。 「大衆的なものの大部分は、きわめて女性的な性質と見解を有している。彼らの思想と行動は理性的な考察によるよりも、はるかに感情と情緒によって支配されるのが常である。従って女性の感受性は、厳然たる支配者を好み、なかなか理解しがたい理論よりも、簡単にして力強い教義に満足する。一人としてその意味がわからない者がなくなるまで、繰り返し繰り返し宣伝はしなければいけない」。 「繰り返し繰り返し宣伝」されている。民放/コマーシャルは毎日、昼夜繰り返されている。テレビは声である。見ることを成立させる、対象との「あいだ」を声によって奪いにかかる。なぜ、声なのか!見る行為は、外にあるモノとの関係におかれる。だから、自分とのあいだに「あいだ」があり、乖離だある。いたってクールなのである。では、聞く行為における声はどうか。それは内面であり、自己完結的で、見る行為にあった「あいだ」がなくなって感情的になっている。そうなると、どなるのか。「大衆的なものの大部分は、理性的な考察によるよりも、はるかに感情と情緒によって支配されるのが常である」状態となり、むしろ、大衆がそうであるというよりも、そいう状態を指して「大衆」というのであり、その「大衆」を為政者が望んでいるのである。「選ばれる側」と「選ぶ側」のあいだにある「あいだ」を隠蔽し、自らの声に誘導される状態を望んでいるからだ。 森田実政治日誌[313] 郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略 これは先の選挙における郵政改革PRのために、国と特別契約を結んだ竹中平蔵郵政民営化担当大臣の知人が経営する広告会社が提出した企画書の中に「郵政改革PRは、主婦層や子供、シルバー層といった具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターだけを支持している、ちょっとIQの低い人々の層(これをB層としています)をターゲットに進める」という一文があり、「バカにしている」と物議を醸し出したもの、だという。 ここからも理解できるように、民放/コマーシャル/テレビは「繰り返し繰り返し宣伝」をするための道具となっている。見る行為を、その行為として成立させる「あいだ」を奪うのがテレビであれば、コマーシャル(宣伝)と番組の「あいだ」の区別も奪われ、テレビもろともコマーシャル(宣伝)となってしまった。けど、そんなことは驚くにあたらないことで、そういうものであることは無声映画を観ればそれとすぐに理解できることだろう。 \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
by toroom
| 2006-11-11 18:20
| 政治
|
ファン申請 |
||