カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2007年 01月 12日
何をしようとしているのかサッパリ分からない
こういう反応に触れて、どうしてか、 北海道のことを思い出してしまった。 日本の植民地支配は北海道にはじまる。 その北海道にはクラーク博士が来ている。 その教え子に内村鑑三がいる。 内村はアメリカに農業を学びにいったのだった。 ここに農業という土地支配にはじまる 日本の植民地支配の原型があろう。 ここにキリスト教が加わり 「愛」が語られる。 つまり、日本の植民地支配政策はアメリカから学んだものである。 では、アメリカのそれはどういうものだったかというと、 例えば、野蛮な国家に「自由と平等を教える」ということにある。 それは、アメリカと対等な関係に自立することであり、それは正義であり愛である。 このとき、加害者としての意識はなくなる。自分たちと「同じ」にしてやるのだから、 感謝させこそすれ、恨まれることなど想像すらできなくなる。 これは、それまでの西洋列強による植民地支配とは明らかに異なる。 西洋諸国は露骨なまでの支配-被支配の関係を強要した。 よって、ここには加害者としての意識が 被害者のみならず、 加害者の側にも残る余地がある。 翻って、日本はどうか。 満州帝国は西洋列強の支配からの解放である。 われわれは、支配するのではなく、 彼らを日本人として同等に、 われわれの愛によって扱うものである。 例えば、朝鮮では 彼らの名前である固有名を剥奪した。 だが、それは支配ではなく、 日本人名を愛によって与え、 同じ日本人として扱うのであって、 なんら迫害するものではない。 無論、ここにもアメリカ同様、 加害者としての意識など 露としてなく、それは愛によるもので、 われわれは感謝されこそすれ、 恨まれることはなにもしていないとなろう。 更に、翻って北朝鮮を見てみると、 いかにも日本の植民地支配から学んだ成果が見て取れないか。 将軍様の「愛」によって われわれ同胞は幸せである。 この光景を見るにつけ、 奇妙な違和を感じてしまうのは、 明らかに支配されているのに、 それを「愛」といっていることにある。 だが、それこそが アメリカ・日本の植民地支配の姿なのであり、 それは今なお、 日本国内の護送船団方式・官僚支配の中にある。 官僚(天)様のおかげで 今日の日本の発展はある。 それは支配ではなく「愛」なのである。 あるいは、イラクにおける 「復興支援」の支援にもある。 それは「愛」による支援であり、 支配ではない。 更に、卑近な例では、親子関係にもそれは見て取れる。 「ママはあなたのことを思って言ってるのよ」と、 どこでも聞きそうな「愛」による支配である。 ここに、西洋諸国における あからさまな父権的支配による、 服従と従属の関係では捉えられない、 歪んだ「愛」による支配関係があるように思えたならない。 これが、 分けがわからず、むかつき、切れる、 「いじめ」などに露呈してしまうんじゃないか! 「愛」が支配なんてね! ちょっと、おかしいもん! そんな「愛」はいらない。 支配を「愛」と言い換える、 そんな歪んだ、いびつな「愛」だったら、 そんなものポイとゴミ箱に捨ててしまった方が どんなにか、気が楽で、すがすがしいしことか! こんなゆがみを「愛」とって はばからないところに、 公正な判断なんてつきようがないもん、ね! 日本には「愛」はない。 だから、恋愛もない。 恋愛したけりゃ、 出エジプト改め、 出ジャパン、エクソダスするしかない! Bob Marleyでも聴こ、っと!
by toroom
| 2007-01-12 19:29
| 政治
|
ファン申請 |
||